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トイカメラブームの歴史
2008年11月22日土曜日,8:23



ここ数年、若者向けの雑貨店や本屋さんには、
プラスチック製のカメラ、
味わい深いアート感覚溢れる写真が手軽に楽しめる
いわゆるトイカメラのコーナーが数多く設けられています。
ムーブメントの中心は20代の若者ですが、
フィルムカメラに慣れ親しんだ世代、
またデジタルカメラしか知らないはずの10代にも、
その人気は飛び火しています。

トイカメラを
アーティスティックな写りをするユニークなカメラと定義すると、
そのブームの礎を築いたのは、
1990年代初頭、ロシア製のコンパクトカメラ「LOMO LC-A」でしょう。
旅行先でたまたま中古のLOMO LC-Aと出会ったウィーンの大学生たちが、
写真の四隅が暗くなる「トンネル効果」、
一眼レフカメラとは明らかに異なるレンズの色乗りに感激。
1991年に「ロモグラフィック・ソサエティー」を設立し、
世界各国にカメラの魅力を広めたことで大ブームとなったのです。
日本にもそのブームは上陸し、
数多くの著名人を含めた「ロモグラファー」
(LOMO LC-A愛好家のこと)を生み出しました。
現在ではすっかりロモ文化は定着し、
世界中でアート系カメラ文化を牽引し続けています。
 
ロモのブームと共に注目されたのが、
中国製のチープなプラスチックカメラ「HOLGA」です。
こちらはLOMO LC-Aとは異なり、
まさにおもちゃのようなシンプルな作りですが、
「魂を持ったカメラ」と表現されることが多いことからも分かる通り、
非常に独創的な写真を生み出してくれます。
カメラ自体も安価であることから、
トイカメラの入門機として人気を博しています。
 
他にも、1960年代に人気を呼んだ
プラスチック製カメラ「Diana」を現代に復刻した「Diana+」、
4連写カメラ「SuperSampler」、
120度のパノラマ撮影が行える「Horizon」など、
個性溢れるカメラがたくさん発売されています。

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世の中は完全にデジタルカメラ優勢。
フィルムも年々種類が減っている中、
それと相反してなぜトイカメラを使う人は増えているのでしょうか。
「便利さ」「新しさ」が
商品を購入する上で最上の動機になるというタイプの人は、
正直トイカメラの世界には向いていないかも知れません。
なぜなら、手間と時間を費やすことにこそ、
トイカメラの醍醐味はあるからです。
トイカメラの魅力を、
3つの面から分かりやすく紹介したいと思います。

(1)味のあるレンズを楽しむ
通常のカメラは、
「人の目に近づける」ことを第一に開発されています。
しかし、トイカメラのレンズは
驚くほど風景を優しく捉えてくれることが多く、
見た目に忠実というよりは
記憶の中の風景に近かったりします。
カメラの王道からは外れますが、
ノスタルジックだったり、
ビビッドだったり、
予想を裏切る写りを
自分の感性に従って楽しめばいいのです。

(2)フィルム選びからプリントまで手間をかける
カメラ自体の持つレンズの性格はもちろん、
使うフィルムによっても、
プリントによっても
完成する写真の色は変わります。
そして、撮影をしたフィルムを現像に出して待つまでのワクワクは、
撮影をしたものを液晶画面ですぐに確認できてしまう
デジタルカメラでは味わえないもの。
どうしてもデジタルカメラの場合は、
数百枚、時には数千枚も闇雲に撮影し、
その中から気に入ったものを選ぶ
という作業をしていしまいますよね。
コストパフォーマンスに優れている
と言ってしまえばそこまでですが、
その選んだ1枚をどんな気持ちで撮影したかは、
きっと答えられないはずです。
時間を費やすこと、手間をかけることで、
写真1枚1枚に対する思い入れが深くなるのが
フィルムカメラなのです。

(3)自由な感性で撮影する
ファインダーを覗かずに撮影をしたり、
カラーフラッシュを使ったり、
クロスプロセスと呼ばれるポジフィルムを
ネガ現像することで色が転ぶ手法で現像したり、
1枚の写真に何度もシャッターを切って像を重ねたり、
とにかくユニークな写真を撮るためには、
どんな手段を使ってもいいというのがトイカメラのルール。
アイデアが浮かんだら、
それを素直に実行すればいいのです。
手法によっては絵画を描くことに近いかもしれません。

多くの方は映画が好きだと思いますが、
私は多くの映画ファンに写真を撮ってもらいたいと思っています。
と言うのも、映像と静止画の違いはあれ、
自分で表現するということを知ると、
映画の楽しみ方が拡がると思うからです。
広角レンズや望遠レンズで撮影することの効果、
カットバックで挿入される風景映像の美しさなどが分かると、
映画はより楽しくなるはず。
きっと、好きな映画監督にも違いが出てくるのはないでしょうか。
何より、自分が発信者になることの楽しさ! 
映像を自分で撮ることは難しいかも知れませんが、
トイカメラを使えば、
買ったその日から自分自身がアーティストになれるのです。

それにしても、
なぜ「トイカメラ」という呼称になってしまったのでしょう。
「トイカメラっておもちゃなんでしょ?」
という声を良く耳にしますが、
ほとんどはおもちゃと呼んでは失礼なほど
奥の深い楽しみ方が出来るものばかり。
是非、そんなイメージに惑わされることのないようにしていただきたいです。
次回からは、使い方などをお伝えします。


○「RED SCALE NEGATIVE」という赤みの強いネガフィルム

○ポジフィルムをネガ現像するクロスプロセスという手法

○真四角写真

○1枚の写真に何度もシャッターを切って像を重ねる「多重露光」をクロスプロセスで撮影

○画像の四隅が黒くなっている「トンネル効果」

ブライアン・ウィルソンは、ジョン・レノンと同じ様な、ヒッピーじゃないか!
2008年11月16日日曜日,10:36



ビーチ・ボーイズの中心メンバーだったブライアン・ウィルソン。人は彼を<孤高の天才>と呼びます。

何故そう呼ばれるのか…。

それは、時代が彼の天才を読むことができなかった。時代が少し彼に付いて行くことができなかった。そのような反省の意を込めて、<孤高の天才>と呼んでいるのではないかと思います。

「天才と何とかは紙一重」と、よく言いますが、そんな状況下に居た彼は、世界を夢中にさせるような音楽を作りましたよね。しかし、それからが彼の苦闘の始まりです。

60年代から、今日までの彼のことを、まとめて音楽にすると、この3曲な按配ではないかと思います。小麦色の肌のサーファー・ガールも40年も経てばババァになるわけですが(笑)

 ビーチ・ボーイズの「Sufer Girl」。それから、最近発売されたばかりの、ブライアン・ウィルソンのアルバムのタイトル・トラックで「That Lucky Old Sun」。

そして、同じアルバムに入っている曲で「Forever She'll Be My Sufer Girl」。これには、「永遠のサーファー・ガール」というタイトルが付いていますが、歌の中で、1961年の出来事と言っていますよね。

同じ女の子をずっと想い続けているわけですよね、ブライアン・ウィルソンは。40年以上経っても、このスタイルは続いています。

若い人達は、ブライアン・ウィルソンの歌を聴いて、「歌手じゃないよね、この人は?」、なんて思っているかも知れませんが、そうなんですよ。彼は元々ミュージシャンですが、真ん中に立って、リード・ボーカルを取るような歌手ではなく、ではブライアン・ウィルソンのどこが偉いのかと言うと、<頭の中にあるコンセプト>が偉いんですよ。

彼が作りだしたコンセプトが、やっぱり凄い。そして、時代は彼を読むことができなかった、ということです。

僕等も読むことができなかったわけですから、彼はどういうような男なのか、というのを、後になって、ブライアン・ウィルソンがソロ・アルバムを時々発表してくる度に、耳を傾けるわけですが、最新作『That Lucky Old Sun』ではっきりと分かりましたよね。

アルバムのタイトルにもなった「That Lucky Old Sun」という曲は、アームストロングだとか、フランキー・レインなどの、昔の人達が歌った、<黒人霊歌>的な曲なんです。

これをブライアン・ウィルソンが聴いて、「あっ、これは自分の人生みたいなものだ。自分の今回のアルバムはこのタイトルにしよう」、と思ったそうです。

「太陽はいいよなぁ、俺達は汗水垂らして働いているのに、太陽は天国の周りを回っていればいいんだもんなぁ」、というこの歌を聴いて、僕は「あっ、ブライアン・ウィルソンって、ジョン・レノンと同じ様な、ヒッピーじゃないか」、というような感じもしました。

そして、今回のニュー・アルバムを聴くとね、ビーチ・ボーイズの音作りの種明かしや、自分がどうしてノイローゼと言われ、自分の兄弟にまで嫌われたかというようなことが、ちゃんと綴られているんですよ。

そのブライアン・ウィルソンは、ビーチ・ボーイズとしてスタートするのですが、ビーチ・ボーイズの、あの絵葉書のような音楽は皆さんもご存知だと思います。
「Surfin' USA」とかね、色々ありましたけど。
ところが、1965年に、彼はメンバーと一緒にツアーをしなくなるんですよ。この事については色々あると思いますが、僕が推測するに、ツアーに出たりすると、ビーチ・ボーイズは滅茶苦茶な生活をするんですよ。それにブライアン・ウィルソンは付いていけないわけです。

乱チキ、乱交、乱薬といった、『~ドラッグス・アンド・ロックンロール』の世界に付いていけなくなり、彼はノイローゼになってしまい、スタジオにこもって音楽を作り始めるんですよ。

そしてビーチ・ボーイズのメンバーがツアーから帰ってきたら、お兄ちゃんのブライアンが、「今度、新しいサウンドこれでいくから」と、聴かせるわけです。そうすると、皆は「なんだこりゃー!」、と言うんですよ。「あんた、これ犬に聞かせる音楽を作ってたの!?」といった、酷いことを言うんです。

まあ、メンバーの中に兄弟も居ますから、理解してくれる連中も居たりして、とにかく『Pet Sounds』というアルバムを発表しました。そのアルバム、そこにこそ、我々が読めなかったブライアン・ウィルソンが居るんですね。


有名なアルバム『Pet Sounds』から「Wouldn't It Be Nice」、「God Only Knows」。これを、世間の人達が聞くと、「もうビーチ・ボーイズは終わりだ」、と思っちゃったわけですね。僕等も思ったわけです。というか、ノレなかったわけですよね。だから『Pet Sounds』は全然売れなかったのですが、平たく言うと、「Surfin' USA」のような音楽がビーチ・ボーイズですよね。

どういうことかと言うと、「Surfin' USA」というのは、元はブライアン・ウィルソンの音楽ではなくて、街に流れている、チャック・ベリーなんかのロックンロールです。そのロックンロールに、独特の、ブライアン・ウィルソンでしか作れないようなコーラスを、ロンクンロールのメロディに入れることで、まるで違うものにしちゃったわけですよね。ところが、そんなことではもう世の中駄目だろうと、思ったわけですよ。それに、ライバルのビートルズは凄いことをやっているわけですよね。焦りを感じたブライアンは、このような曲を作ったということなんです。


聴いていて思い出したのが、60年代に、<イン>という言葉が、凄い流行語になっているんですよ。要するに、サイケデリックな世界というのは、自分の中をトリップする世界でもあるわけですよね。

そういったのも兼ねて、「イン」と言うと、ナウいとか、中に居るという感じで、昔は流行語だったんですよ。ラムジー・ルイスのね、「The in Crowd」というヒット曲がありました。

「The in Crowd」というのは、『in』な『Crowd』なんですよ。だから、俺達は、『ナウい連中』という意味ですかね。あと、日本でも、渋谷のデパートには、『イン』というコーナーがあり、『ビー・イン』などもあったりして、流行しました。だから、インナーのトリップの世界を、皆求めたわけですよね。ビーチ・ボーイズの音楽もそうだったわけですよ。絵葉書で、「Surfin' USA」に親しんだ我々は、付いていけなかったわけです。

アルバム『Pet Sounds』から「Caroline, No」。これはシングルとして、ブライアン・ウィルソン名義で発売したものです。「Surf's Up」は、実はボツになったあのアルバム『Smile』からのナンバー。ボツになりましたが、後になって発表されるわけですけども。

レコード会社はね、『Pet Sounds』は大失敗だったと判断を下すわけです。メンバーの半分以上もそう思っていた。録音に、当時のお金で7万ドルもスタジオにかかったということは、大変なお金をかけているわけですよね。

その頃はね、ロックの評論というものが1つの文化だったんですよね。今でも他の資本に売られて続いている、『ローリング・ストーン』という雑誌や、それから、ポール・ウィリアムスという評論家が書いていた『クロウダディ』という雑誌なんかは、その中で、いかにビートルズが偉いか。

そしてビートルズと同じように、ビーチ・ボーイズが偉いかということが、よく書かれていました。ビーチ・ボーイズの凄さっていうのがね。だけど、我々や、レコード会社の連中は、ピンとこなかったわけですよ。仕方無いですよね。そして、その『Pet Sounds』から、『Smile』の制作に移るんですが、レコード会社が完璧に見向きもしてくれないし、ブライアン・ウィルソンもボロボロな状態になるんですよね。


1966年の「Good Vibrations」は、誰もが認める凄い曲ですよね。1回聴いただけじゃあ分からないような凄い曲ですよ。もちろん取っ付きはいいわけですよ。ですが、聴けば聴くほど、「色んなことをやっているんだなぁこの人達は。凄いんだなぁ」、というのが分かるという曲です。この曲なら、ブライアン・ウィルソンの中を、覗くことが我々にはできたわけですが、他の曲はちょっと無理ですよね。

この曲が大ヒットしたのは、音楽的な深さや色々な冒険もあったけど、マイク・ラブが歌詞を作ってね、このマイク・ラブが絵葉書的なビーチ・ボーイズの詩にしているわけですよ。

Good Vibrations」という単語は、先程も言いましたが、<イン>という流行語もあったし、<Vibrations>というのは、「Vibe」とかで、現在でも使いますが、この頃出てきた言葉ですよね。それをもろに曲にしてしまったわけですよ。それから、サビでは、「Good Vibrations、Excitation」のような、新しい言葉を作ったりと、結構幼稚な感じですが、こういったものが、音楽的な難解さと中和されて、ヒットしたんじゃないかと言われています。

チェロが入っていたり、テルミンという変な楽器が入っていることはお馴染みですよね。この曲を聴いた時に、ポール・マッカートニーは、「俺達ブライアンに負けた!」、と思ったらしいですよね。しかし、それをエネルギーや燃料にして、ビートルズ達は、『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』や、後の作品に向かうわけですけども。

その後、壊れてしまったブライアンの情報は、時々、色々なところから伝わってきましたが、なかなか回復してこないんですよね。身内でのトラブルがあったり、セラピストが財産を盗もうとしたり、色々なことがあって、完全復活というのが、なかなか出来なかったのですが、完全復活したのが、1995年に、以前ボツになった、『Smile』のアルバムで組んでいた、ヴァン・ダイク・パークスと再び一緒になって、彼が出てきたことからになります。

ヴァン・ダイク・パークスのアルバムに、メイン・ボーカルとして参加という形でしたが、彼は復活します。それがこの「Orange Crate Art」という曲です。

『Orange Crate』というのは、日本語で言うと、『みかん箱』ですよ。木で作ったみかん箱って知っていますかね。そこにチープなみかんの絵が入っていたわけですが、アメリカのオレンジの梱包用の箱には、ヤシの木や海岸線が書いてあって、そういったビジュアル的なものを、コンセプトとして、ヴァン・ダイク・パークスが作ったということで、これはかなりいいアルバムなので興味のある方は是非聴いていただきたいと思います。

このようなビジュアルというのは、以前に流行りましたが、日本では、細野晴臣の「Yellow Magic Carnival」なんかがありました。そう言えば、山下達郎の『スマイルカンパニー』という会社は、ボツになった『Smile』のアルバムに敬意を称してそう呼んでいるわけですよね、ふと思い出しましたが。

1番新しいアルバム『That Lucky Old Sun』を、最初から聴いていくとね、裸のビーチ・ボーイズが見えてくるんですよ。後半になるとね、ビーチ・ボーイズの本当の姿を見ようと、探ろうとした人にとっては、目から鱗のことのように、ブライアンが丁寧に話をしてくれるんです。そして、その音楽もそうなんです。ですから、最新アルバムは、後半が特にオススメなんですよ。

アルバム『That Lucky Old Sun』から、最後の2曲である「Going Home」と「Southern Califirnia」。これで、ハッピー・エンディングみたいに、ブライアン・ウィルンンのことがよく分かります。このアルバムはね、色々なことを解き明かしてくれるんですよね。歴史絵巻ではなく、個人的なことを歌っているのに、まるで歴史絵巻みたいに、最後は明るくなっていくんですよ。これは面白いですよね。

僕達は、ビーチ・ボーイズの初期の頃の作品は凄いと思ったし、ビートルズなんかは、「『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』最高!」なんて思ったけれど、『Pet Sounds』を理解してあげなかった。宿題をやり忘れた感じですよね。今回のニュー・アルバムはね、夏休みの宿題しないまま、夏休みの終わりに、自分の年上の従兄が来て、パッパッパッパッと宿題を手伝ってくれて完成みたいな感じがしましたよ、僕は。


因みに、『Pet Sounds』は、1966年の発売から、30数年を経て、ゴールド・ディスクになっています。昔の画家が認められなくて、死んでから認められたような、そんなことを少し思い出してしまいますが。

「Oxygen To The Brain」は、ニュー・アルバムの真ん中の後半辺りに出てきます。それまでの、楽天的なものが、急にポジティブになってくるんですよ。「今までは、何で俺はこんなに暗かったんだろう、さあ、胸一杯に大きく空気を吸って、頭に酸素!酸素!」と。ブライアン・ウィルソンにしては、元気を付けてくれる、まあ、ビーチ・ボーイズ自体はね、僕達に凄い活力を与えてくれたわけですが。












2008年度ヒット商品ベスト10
2008年11月9日日曜日,12:02




月刊誌「日経トレンディ」が選ぶ「2008年ヒット商品ベスト30」が3日、都内で発表され、第1位には「プライベートブランド(PB)」が選ばれた。以下、2位には「Eee PC」、3位には「Wii Fit」、4位には「アウトレットモール」がランクイン。全体的に不況を反映した結果となった。



プライベートブランドは、流通業者がメーカーとタイアップして開発した独自のブランド。不況による消費者の価格志向の高まりや小売店の交渉力の向上を背景に生まれ、セブン&アイ・ホールディングスの「セブンプレミアム」やイオンの「トップバリュ」など、スーパーを中心に浸透している。

同誌の渡辺敦美編集長は「今年は上半期から物が売れない状況が続いていました。そんな中、低価格で、ただ安いだけでなく、何らかの"楽しさ"がある商品が支持を集めましたね」と総評。

「Eee PC」(2位)、「アウトレットモール」(4位)、「H&M」(8位)、「プレミアムローストコーヒー」(18位)など、安さに加え付加価値のある商品が上位にランクインした。

また、同じく発表された「2009年ヒット予測ランキング」では、プライベートブランドに注力し、高質商品も扱う激安店を指す「新世代ディスカウンター」が1位に。以下、2位には「光回線加入付きBDレコーダー」、3位には「リアップ"ファイブ"」、4位には「インサイト」、5位には「"0円スマートフォン"」がランクインした。

同ランキングは、1987年より年1回実施している企画で、「売れ行き」、「新規性」、「市場創出性」、「影響力」の4項目を評価基準とし、総合的に判定している。

http://journal.mycom.co.jp/news/2008/11/03/006/


1位 プライベートブランド
2位 Eee PC
3位 Wii Fit
4位 アウトレットモール
5位 ZERO系飲料
6位 鉄道博物館
7位 BBクリーム
8位 H&M
9位 ブルーレイ・ディスクレコーダー
10位 ケシポン

私たちはできる
2008年11月5日水曜日,22:13




アメリカでは、すべてが可能であることを疑い、民主主義の力に疑問を呈する人がまだいるなら、今夜がその答えだ。今度の選挙は違うと信じて、投票所に並んだ人々の列が答えだ。老いも若きも、共和党支持者も民主党支持者も、黒人も白人も、同性愛者もそうでない人も、健常者も障害者も、すべてが出した答えだ。我々はアメリカ合衆国(の一員)なのだ。

 長い道のりだった。だが今夜、今日の決戦を経てアメリカに変革が訪れた。

 この勝利は皆さんのものだ。私は最初から大統領に最も当選しそうな候補者だったわけではない。金もなかったが、労働者たちが5ドル、10ドル、20ドルと献金してくれた。極寒の日もうだるような暑さの日も見知らぬ人の家のドアをたたいて回った人々のおかげで選挙運動は力を得た。人民の、人民による、人民のための政治が滅んでいなかったと。




我々の前には大きな仕事が待っている。(イラク、アフガンの)二つの戦争、危機に直面した地球、世紀の金融危機だ。新エネルギーを開発し、仕事を創出し、学校を建て、脅威に対処し、各国との同盟関係を修復しなければならない。

 道は長く険しい。坂は急だ。だが、私は今夜ほど希望に満ちたことはない。私は約束する。我々は一つの国民として目標に到達するのだ。

 挫折やつまずきもあろう。だが、私は皆さんに、常に正直であるつもりだ。この勝利は、変革のためのきっかけでしかない。後戻りはできない。

 今夜我々は、この国の真の力は武力ではなく、民主主義、自由、機会と不屈の希望に由来することを証明した。この選挙戦では語り継ぐべき多くの物語があった。(ジョージア州)アトランタで投票した女性もその一つだ。106歳の彼女は、かつて(女性という)性別と(黒い)肌の色の二つの理由から選挙に参加できなかった。彼女は全米が大不況の絶望に包まれ、ニューディール政策によって恐怖を克服する国を見た。彼女はアメリカがどれだけ変化できるか知っている。我々はできる。





我々の子どもたちが来世紀を生き、私の娘がクーパーさんのように長生きすればどんな変革を目にするのだろうか。どんな進歩を成し遂げられるのだろうか。今がその使命に答えるチャンスだ。今が我々の時代だ。子供たちに機会の扉を開き、豊かさを取り戻し、アメリカンドリームを唱え、基本となる真実を確かなものにする時だ。皮肉や疑いに直面した時、「できない」と私たちに語る人がいる時、時間を超えた道理で答えるのだ。私たちはできる、と。

米大統領選で当選した民主党候補、オバマ氏の演説要旨。

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